インドってどんな国? |
インドってどんな国? 最近はシリア、中東、難民問題、中国の脅威、北朝鮮、ロシア等々重大問題が目白押しの地域に関心が行き、日本ではインドに関心を示す人はあまりいないというのが実情です。しかし日本とインドは歴史的にも関係が深く、今後日本とインドがより緊密に連携していくことは、世界平和のために極めて重要になってきています。今回の旅行で、たまたまベナレスに行った時、安倍首相がモディ首相の郷里へ行き、一緒にガンジス河への祈りの儀式「プージャ」を見るという話を聞いた時は、インドとの関係を深めるため、ここまで努力しているのかといささか驚きをもって受け止めました。 以下おおまかにインドの国の姿を見てみます。 インドの国土、人口、産業 ![]() インドの国土は、328万平方km、日本のおよそ9倍、ヨーロッパの国々とほぼ同じ広さ、人口は約12億人、一人当たりGDPは約1500ドル。 産業別割合は農業15%、工業23%、サービス業60%。順調な経済発展を遂げているインドではありますが、インフラの整備の遅れが目立ち、特に電力供給の不足が今後のインドの経済発展の鍵となりそうです。 インドの歴史 インドの歴史はおおまかに次の4つの時代に区分される。 ① 約3000年前、中央アジアから移動してきたアーリア人がガンジス河の平原部で、農耕定住生活を始め、やがて都市国家を経て仏教の栄えたアショーカ王のマウリア朝や、ヒンドゥー教の成立したグブタ朝という古代帝国が出現し、広大な統一領土の中で地方も独自の発展をしていった。 ② 1206年、北から侵入してきたイスラム勢力が、デリーを中心とするマムルーク朝を打ち立て(この時、勝利の記念としてクトゥブ・ミナールを建てる)、その後バーブルがムガール帝国を打ち立て初代皇帝となる。 その後もフマユーン帝、アクバル1世、シャー・ジャハーン1世、アウラングゼーブ・アーラルギール等の皇帝が、1858年のイギリスによるインド直接統治までムガール朝の全盛時代を統治する。 ③ 17世紀中盤からイギリスはインド各地で征服戦争を行い、ついに西は現在のパキスタンから東はミャンマー、南はスリランカまでを領有し、1877年英領インド帝国を成立させた(イギリスのヴィクトリア女王がインド皇帝を兼任)。 19世紀後半からイギリスの植民地支配に対する不満が次第に高まり、1857年の大反乱(シバーシーの乱)等で反英独立運動が本格化し、ガンジー、ネルー、ジンナーに率いられて1947年、インド、パキスタンとして分離独立した。 ④ 1947年8月15日長年のイギリス植民地支配から独立した。 インド独立運動は、当初ヒンドゥーとムスリムの団結で進められたが、次第に宗教対立が激化し、結局植民地は二分されて独立することとなった。 パキスタンの領土はパンジャーブ地方以西とベンガル地方の東部という飛び地になり、分離独立の際、新しくできた国境地帯では、パキスタンからインドに移動しようとしたヒンドゥーと、逆にパキスタンに向かおうとするムスリム(イスラム教徒)が膨大な人並みとなって衝突し、凄惨な殺戮が引き起こされた。インドとパキスタンの遺恨、相互不信はこのようにして現在も続いている。 1971年東パキスタンがバングラデシュとして独立。 インドの宗教 インドは宗教に寛容な国だと言われている。複雑な長い歴史の中でたくさんの宗教が生まれてきた。インド国民の8割以上を占めるヒンドゥー教、13%を占めるイスラム教、キリスト教2,3%、シク教1,3%、仏教0,8%、ジャイナ教0,4%、その他、ユダヤ教、バラモン教、ゾロアスター教がある。 ヒンドゥー教には特に開祖はおらず、根本経典もない。インドと周辺地域で共有されている世界観、価値観の総体がヒンドゥー教と呼ばれている。 普段生活の中では宗教について念頭にない日本人には理解しずらいことかもしれないが、インドにおける宗教は、個人の信仰心には関係なく、個人やコミュニティがインド社会における正当なメンバーであることを証明する重要なファクターであるとされている。 日本人はよく何気なく私は無宗教ですと言いがちですが、私は社会のアウトローだと言っているようなもので、要注意人物とみなされる。従って普通の日本人は仏教徒と言っておくのが無難だと言われています。 |
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