3日目   リマ ー ピスコ - ナスカ - ピスコ - リマ






 

3日目 ナスカの地上絵

  砂漠地帯をひたすら南下する

 今日はナスカの地上絵を見に行く日。朝、ホテルを6:45に出発するので慌ただしい。リマから飛行場のあるピスコの町までは約4時間掛かる。パンアメリカンハイウエーを南に向かってひたすら走る。
 
 リマ近郊は、まだ住宅や工場等があり人が生活している場所という感があったが、次第に乾燥した白っぽい砂漠地帯に変化していった。所々に小さな家のような家でないような建物が散在し、一部は町を形成するくらい数多く建っているところもある。ガイドさんによれば、この辺りは土地の所有もはっきりしていないので、勝手に家を建て、次第に既成事実を積み上げ、家も土地も自分の物にし、遂には、政治家に働きかけて道路や公共の物も作らせているのだとか・・・・。何ともおおらかと言うか無法地帯と言うか・・・。

 ピスコの飛行場に到着

  途中、日本人がやっているというお土産屋さんに寄り、トイレ休憩、ついでにお土産も少し買い入れる。そこから更にバスで、いくつかの町や砂漠地帯を通過し、セスナの飛行場のあるピスコに到着。

 ピスコの飛行場は最近立て替えたばかりなのかかなり立派だ。やはり最近はナスカの地上絵を見に来る観光客が多いのか・・・。しかし、今日は日曜日にかかわらず随分空いていて、待つこともなくすぐに乗ることが出来るらしい。始め通常の審査があり、続いて体重測定、体重に応じて左右の座席に振り分けられる。

 体調はいい 
 
 今日は天気も良く、体調もいいので、飛行機に乗り込んだ後も、ビデオや一眼レフの調整を念入りにする。他の皆さんも、何か高揚した気分で地上絵のあるナスカまでの約30分、賑やかに飛行を続ける。眼下の地上には、ところどころ草が生えていたり、家も点在しているが、ほとんどは白っぽい砂漠地帯。


  地上絵が見えてくるが・・・ 

  
  パイロットがそろそろ見えてきますよと言う。と同時に急な降下が始まり、右に急な旋回、そして左に旋回。更に上昇、下降を繰り返しているうちに、急に胃が口から出て来そうになった。かろうじて飲み込む。
 
 
 子供の頃はひどい乗り物酔いに悩まされていたが、この10数年あまり乗り物に酔うこともなく、何となく自信もついていた。しかし、一応酔い止めも飲み、充分注意はしていたつもりが完全グロッキー。撮影どころの騒ぎではなくなってきた。ただ、ひたすら一刻も早い帰還を願うばかりだった。

 やはり女性は強い 
 
 そう言えば、若い頃に、グランドキャニオンをセスナで見学した時、不注意にも二日酔い気味で乗って酷い目にあったことを思い出した。今回は体調も良かった筈なのだが・・・。12人のうち3人が酔ってしまったようだ。残りの人は皆さん元気そのもの。特に女性は旋回や下降を楽しんでいるようでした。

 遺跡としての価値は・・・?

 ナスカの地上絵は、かなり期待して参加したが、きつい酔いもあったせいか、大きさや鮮明さから言うと少々期待外れだった。ナスカの当時の人たちが宇宙人へのサインを送ったのか、ただいたずらをしたのか、あるいは、少し前の現代人が砂漠の上にある石ころを寄せて図形化したのか,本当に遺跡としての価値はあるのか、どうも心もとない気がする。

  昼食はホタテのマリネ
  やっとの思いで帰って来て、またバスに乗り込み昼食会場へ向かう。昼食はピスコ市内の海を臨む、大きなプールのあるリゾート地で、ペルー名物と言われる「セピーチャ」(海鮮マリネ)というホタテのマリネをいただく。ビールを飲めばビールの酔いで少しは乗り物酔いをごまかせるかと思って飲んだが、余計悪酔いしたようだ。

 ビールを飲む意欲はない

 帰路また日本人がやっていると言うお土産屋さんに寄りトイレタイム。少しアルパカ製品を買う。4時間かけリマに戻る。夕食はホテルのレストランで。しかし今日は珍しく、ビールを飲む意欲はほとんどない。


     
リマ郊外、斜面に張り付くような住宅     道路の向こうは遥か向こうまで砂漠です
     
     
 セメント工場   道路のすぐ横は養鶏場、
養鶏が盛んなようです 
     
     
 着々と建設が進む不法住宅   途中の町にはこの様な三輪車がたくさん走っていました 
     
   
 次第に砂漠に変わっていきます
画面をクリックすると動画が始まります。
(2分32秒)
  無事飛行を終えて帰還 
     
     
 何の絵でしょうか?   この辺りは多くの図形が交差しています