4日目 リマ - クスコ - オリャンタイタンポ - マチュピチュ 






 

  4日目   クスコからマチュピチュ村へ

 今日の日程は、リマ発9:15の飛行機でクスコへ向かい、クスコ市内を見学、バスでオリャンタイタンポへ行き、オリャンタイタンポの駅から展望列車に乗ってマチュピチュ村へ向かう。

  2日分の荷物を持って

 マチュピチュへの展望列車には大きなスーツケースは積み込むことが出来ないので、マチュピチュ村に滞在する2日間分の荷物をリュックに小分けし、このリュックを持参して汽車に乗る。スーツケースは朝6:00の荷物回収後は、明後日のウルバンバのホテルに先回りすることになっている。

 リマ空港発9:15のLATAM航空で1時間半掛けクスコへ。標高3400mに位置するクスコは、人口ほぼ40万人、昔のインカ帝国の首都である。

 高山病になりかかる

 空港に降り立つと抜けるような青空が迎えてくれた。市内見学で歩き出し、写真を撮るのに少し遅れ、小走りに追い付こうとすると何か胸が苦しい、心臓もパクパクし、頭もくらくらする。そうか、これが高山病の症状かと思い、深呼吸を何度もし、ゆっくり歩くことにする。
 
 精巧な石積みの技術

    サント・ドミンゴ教会の横を抜け、お目当てであった12角の石壁を見る。正に人間技と思えないほどの精巧な石積みの技術に感心させられる、と言うよりは未知の世界を感じる思いであった。石壁の前で、アルパカを抱かせてもらい記念撮影。更に狭い石畳の街を歩いてアルマス広場に入る。

 
 インカの神殿を破壊し教会を

  ここに面する壮大なカテドラルや、ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会は町の中核になって聳え立っている。しかし、インカの悲惨な歴史をたどると複雑な思いにかられる。カテドラルは、インカ時代の神殿を破壊し、一方では、その緻密で強固な基礎石を使い、その上に建てられた。他の教会なども同じようにして建てられたと言う。

   侵略者たちは、インカの金銀を延べ棒にして本国に送り、神殿は破壊し、カトリックの教会に改築していった。当時、ヨーロッパのこれらの国は、カトリックの布教を隠れ蓑に略奪を重ねていった。

   雪と氷河を見ながら休憩

 アルマス広場近くのレストランで昼食を取った後、バスでオリャンタイタンポの駅へ向かう。途中、海抜4千数百メートルの峠から、5800m位の高さがあるというアンデスの山々の雪と氷河を見ながら休憩。
 
 展望列車は渓谷に沿って走る

 その後、聖なる谷まで下り、オリャンタイタンポ駅から展望列車に乗り、マチュピチュ村へ向かう。展望列車はウルバンバ川に沿ってマチュピチュ村まで約1時間半、渓谷を見ながらの列車の旅は格別なものでした。

   マチュピチュ村は何か懐かしい雰囲気

 マチュピチュ村には5時に到着。切り立った断崖の谷間にひしめき合ってレストラン、ホテル、土産物店等が立っている。街中を急な川が流れ、何か日本の温泉地を思わせる雰囲気がある。


  以前、テレビでこの町の初代村長は、福島出身の日本人野内与吉で、水力発電所を造ったり、多くの貢献をした人であると聞いていた。こんな所でも日本人が活躍していたとは大きな驚きである。夕食までの時間、人口3000人のコンパクトなマチュピチュの街を、ゆっくり探検して廻る。
 
 

     
クスコの空港を降りると町がある     サント・ドミンゴ教会
     
     
インカ時代の極めて精密な石壁    この石壁もインカ時代のもの 
     
 
 石壁の前でアルパカを抱かせてもらう   この壁の石は十角 
     
     
アルマス広場への道    カテドラルの正面玄関 
     
     
 アルマス広場からパチャクティ皇帝の噴水と
斜面に広がる家並みを見る.
画面をクリックすると動画が始まる。1分20秒
   パチャクティ皇帝の噴水と
ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会
     
     
峠の上でリャマと子供たちを    峠からアンデスの山々を 
     
     
 峠を下ると聖なる谷に町が出現する   展望列車「ヴィスタドーム」が、マチュピチュ駅に到着。画面をクリックすると動画が始まります(1分38秒)
     
     
駅から橋を渡ってホテルに向かう    ホテルの前の坂道 
     
   
夕方のホテル前の表情     近くのレストラン