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成田からドーハ ー バクー ー トリビシへの飛行経路 |
コーカサスってどんなところ? | |
緯度は青森県と同じ 4,000m級の山が連なるコーカサス山脈の北側が北コーカサス地方。チェチェン共和国、ダゲスタン共和国、イングーシ共和国等があります。 ![]() いろいろな民族の避難所 ユーラシア大陸の中央部に位置するこの地域は、古来から帝国を築いていたペルシャや、ローマ、ロシア等から度重なる侵略を受け、また平原でのさまざまな勢力争いに負けた勢力や人々が、この複雑な地形のコーカサスに逃げ込みいろいろな民族の避難所となっていました。もともと多くの民族が住んでいた地域でしたが更に複雑な民族のルツボ状態になって行ったと言えます。 強制移住や大規模な殺戮事件 またこの地域は、歴史的に大国による勢力争いや民族間の争いにより強制移住や、大規模な殺戮事件が起きています。17世紀初めには、大勢のアルメニア人とグルジア人(ジョージア人)がイランに強制移住されたり、ロシアの版図に入った北コーカサスでは、一部民族が故郷から追われたり宗教的理由から追放されたりしました。また、オスマントルコ帝国下に入ったキリスト教徒のアルメニアが、二度にわたる大量虐殺と追放により、アナトリア東部(現在のアルメニア共和国の西側)からその痕跡を完全に消されてしまったと言われております。(この問題は現在のトルコのEU加盟のネックともなっております) 国家の都合による強制移住の悲劇は1944年にも、スターリンにより北コーカサスのチェチェン人が中央アジアに強制移住され、この移住の際半数が命を落としたと言われ現在にまでその尾が引いております。 無理な民族国家樹立の反動が・・・ ソ連は、かってのロシア帝国の行った民族政策の反省から民族による国民の分類にこだわり疑似的な民族国家を作り出し、一定規模の民族には自治権を与えるようになりました。しかしソ連が崩壊し中央からの指導が無くなると、これまで内在していた人々の不満が一気に爆発してしまいました。現在起きているアゼルバイジャンの「ナゴルノ・カラバフ紛争」やジョージアの「南オセチア紛争」、「アブハジア紛争」は、これら無理な政策の名残りとも言えます。 コーカサス出身の有名人 グルジア出身のスターリン、シュワルナゼ。アルメニア出身のコーチャン(ロッキード事件)、カーコリアン(GMの大株主)、その他ハチャトウリアン(作曲家)、ゲルギエフ(指揮者)、ニコ・ピロスマニ(画家)等がいます。 コーカサスの特徴 コーカサスの長い歴史を特徴づけるのは、有史以来巨大な国家や文明体に飲み込まれることなく、言語や文化の多様性を保ってきたという特異な背景にあります。文明の十字路に位置する一方、コーカサス山脈という自然障壁に守られたコーカサスの人々は、内側では多様な言語・宗教に基づく共生の文化を築き、周辺世界ではマイノリティとしてのネットワークを生かし独自の地位を確保してきました。植生の多様性、人間文化の多様性は豊かな文化資源の供給地として、その存在を示してくれています。 |