佐藤一斎 | 呂 新吾 | 吉田松陰 |
稲盛和夫 | 老子 | 坂村真臣 |
相田みつお | まどみちお |
佐藤一斎 | |
「言志四録」 | |
小にして学べば、則(すなわ)ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。 老いて学べば、則ち死して朽(く)ちず。 |
少年時代に学んでおけば壮年になってから役に立ち、何事かを成すことができる。 壮年のとき学んでおけば老年になっても気力の衰えることはない。 老年になって学んでいれば、知識も一層高くなり、社会の役に立つこともできるから、死後もその名が朽ちることはない。 |
人は須(すべか)らく自ら省察(せいさつ)すべし。「天何の故にかわが身を生み出し、我をして果たして何の用にか供せしむる。我すでに天のものなれば、必ず天の役あり。天の役供せずんば、天の咎(とが)必ず至らむ」。省察して此(ここ)に到れば則ち我が身の苟(いやし)くも生くべからざるを知らむ。 | 人は自ら反省しなければならない。「天は何故自分をこの世に生みだしたのか。どのような事をさせようとしているのか。自分は既に天のものになっているのであるから、必ず天の与える仕事があるはず。これを果たさなければ天罰を受けることになる」。ここまで思いをめぐらして考えてみると、自分は漫然とこの世に生きていくだけではすまない、ということを知る。 |
凡(およ)そ遭(あ)う所の患難変故(かんなんへんこ)、屈辱讒謗(くつじょくざんぼう)、払逆(ふつぎゃく)の事は、皆天の吾(わが)才を老せしむる所以(ゆえん)にして砥礪切磋(しれいせっさ)の地に非ざるはなし。君子は当(まさ)に之に処する所以(ゆえん)を慮(おもんぱか)るべし。いたずらに之を免(まぬか)れんと欲するは不可なり。 | 人間が出会う苦労やいろいろな変わりごと、抑えつけられたり、辱められたり、悪口をいわれたりなど困ったことのすべては、天が自分の才能を成熟させようとするもので、そのどれもが、徳を積み、学問を励ます糧となるものである。従って君子たる者は、こうしたことに出会ったなら、これをどう処置するかを考えるべきであって、決してこれから逃れようとしてはならない。 |
当今(とうこん)の毀誉(きよ)は懼(おそ)るるに足らず。後世の毀誉は懼るべし。一身の得喪は慮(おもんぱか)るに足らず。子孫の得喪は慮る可し。 | 現世で、そしられ、ほめられても恐れることはない。後の世になってからのそれは、やりなおすことができないので恐れるべきである。自分自身の利害得失は問題にするに当たらないが、子孫にまで及ぶようなことは考えの中に入れておかなければならない。 |
賢者は歿(ぼっ)するに臨み、理の当(まさ)に然(しか)るべきを見て以って分と為(な)し、死を畏(おそ)るることを恥じて死に安んずることを希(ねが)う。故に神気(しんき)乱れず。また遺訓有り、以って聴(ちょう)を聳(そびや)かすに足る。而(しか)して其の聖人に及ばざるも、また此(ここ)に在り。聖人は平生の言動、一として訓に非ざる無くして、歿(ぼっ)するに臨み、未だ必ずしも遺訓を為さず。死生を視ること、真に昼夜の如く、念を著(つ)くる所無し。 | 賢い人は、死に臨んで、当然来るべきものがきたと考え、死は生あるものの当然とし死を恐れることを恥とし、安らかに眠りにつくことを希っている。そのため心の乱れはない。また、残された教訓があり価値のあるものである。しかし、賢者が聖人に及ばないのもまたこの遺訓にある。聖人は、日常の言動そのものが後の教えとなるため、死に際してもことさら教えを述べることをしない。死生をみること、あたかも昼夜をみるようであって特別のものとは考えていない。 |
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呂 新吾 | |
「呻吟語」 | |
大事、難事には担当を看(み)る。逆境、順境には襟度(きんど)を看る。喜に臨み怒に臨みては涵養(かんよう)を看る。群行、群止には識見を看る。 | 大きな事件や困難な事件にぶつかったときに、どの程度の責任感をもっているかがわかる。逆境や順境にあるときに、どの程度の襟度をもっているかがわかる。喜びや怒りに心がふるえるときに、どの程度の修養を積んできたかがわかる。集団で行動しているときに、どの程度の見識をもっているかがわかる。 |
貧しきは羞(は)ずるに足らず、羞ずべきはこれ貧しくして志なきなり、賎(いや)しきは悪(にく)むに足らず。悪むべきはこれ賎しくして能なきなり。老ゆるは嘆くに足らず。嘆くべきはこれ老いて虚しく生きるなり。死するは悲しむに足らず。悲しむべきはこれ死して聞こゆるなきなり。 | 貧しいからといって恥ずかしがる必要はない。恥ずべきは、貧しくして志のないことである。地位が低いからといって卑下する必要はない。卑下すべきは、地位が低くて能力のないことである。年老いたからといって嘆く必要はない。嘆くべきは、年老いて目的もなく生きていることである。死を迎えるからといって悲しむ必要はない。悲しむべきは、死んでのちに名前まで忘れられてしまうことである。 |
事に当たるには四要あり。際畔は果決ならんことを要す。これ綿ならんことを怕(おそ)る。執持は堅耐ならんことを要す。これ脆(もろ)からんことを怕る。機括は深沈ならんことを要す。これ浅からんことを怕る。応変は機警ならんことを要す。これ遅からんことを怕る。 | 仕事を進めるにあたっては、四つの重要なポイントがある。〇「好機と見たら、断固決断することが望まれる。弱気になってはならない。」〇「辛抱すべきときには、あくまで我慢に徹することが望まれる。腰くだけになってはならない。」〇「ものごとの処理は、思慮深く沈着であることが望まれる。浅はかであってはならない。」〇「変化への対応は、機敏であることが望まれる。手遅れになってはならない。」 |
勢いの在る所は、天地聖人も違(たが)う能(あた)わざるなり。勢い来る時は、即ちこれを摧(くだ)くも、いまだ必ずしも遽(にわ)かに壊(やぶ)れず。勢い去る時は、即ちこれを挽(ひ)くも、いまだ必ずしも回(めぐ)らす能わず。然れども聖人毎(つね)に勢いと忤(さか)らいて、甘心してこれに従うを肯(がえん)ぜざるは、人事よろしく然るべければなり。 | 時の勢いというのは、天地や聖人の力をもってしても逆らうことができない。勢いが来るときは、打ち砕こうとしても、おいそれとは成功しない。逆に、勢いが去るときは、引き戻そうとしても、これまた成功するとは限らない。だが、聖人は常に勢いに逆らい、甘んじてそれに従おうとはしない。なぜなら、勢いに流されてばかりいたのではダメだということを知っているからである。 |
士気はなかるべからず。傲気はあるべからず。士気は、人己の分に明らかに、正を守りて詭随せず。傲気は上下の等に眛(くら)く、高きを好みて位に素せず。自ら処(お)る者は、毎(つね)に人に傲(おご)るを以って士気となし、人を観(み)る者は、毎に士気を以って人に傲るとなす。悲しきかな。故に、ただ士気ある者のみ、能(よ)く己(おのれ)を謙して人に下(くだ)る。彼(か)の人に傲る者は、昏夜(こんや)、哀れみを乞うも、或いは知るべからず。 | 「士気」つまり、人間としての誇りは、なくてはならないものだが、「傲気」つまり、人を凌ごうとする気持ちは、あってはならないものだ。「士気」は自分と他人の別をわきまえ、あくまでも正しい道を守って、やたら他人に迎合しない。これに対し「傲気」は、上下のけじめもわきまえず、高い地位ばかりねらって、与えられた責任を果たそうとしない。自分を見る場合には、「傲気」を「士気」だと錯覚し、他人を見る場合には、「士気」を「傲気」だと決めつけるが、なんとも悲しいことではないか。ただ「士気」をもった者だけが、謙虚な態度で人にへり下ることができるのだ。「傲気」にこり固まった人間は、あるいは深夜ひそかに、人の哀れみを乞うような事態になるかもしれない。 |
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稲盛和夫 |
雑誌「致知」より (2004年9月) |
人生の目的 ー心を高めるためにー |
ただ一つ滅びないもの |
私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか、もっとも根源的ともいえるその問いかけに、私は真正面からそれは「心を高める」こと、「魂を磨く」ことにあると答えたいと思います。 生きている間は欲に迷い、惑うのが、人間という生き物の性です。ほうっておけば、私たちは際限なく財産や地位、名誉を欲しがり、快楽におぼれかねない存在です。 なるほど生きている限り、衣食が足りていなくてはなりませんし、不自由なく暮らしていけるだけのお金も必要です。立身出世を望むことも生きるエネルギーとなるだけに、一概に否定すべきものでもないでしょう。 しかし、そういうものは現世限りのもので、いくらたくさん溜め込んだとしても、どれ一つとしてあの世へ持ち越すことはできません。この世のことは、この世限りでいったん清算しなくてはならないのです。 そのようななかで、たった一つだけ滅びないものがあるとすれば、それは、「魂」というものなのではないでしょうか。死を迎えるときには、現世でつくりあげた地位も名誉も財産もすべて脱ぎ捨て、「魂」だけを携えて、新しい旅立ちをしなくてはなりません。だから、「この世に何をしにきたのか」と問われたら、私は、「生まれた時より、少しでもましな人間になる、すなわち、わずかなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだ」と答えます。 |
試練は絶好の機会 |
俗世間に生き、さまざまな苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながらも、やがて息絶えるその日まで、倦まず弛まず一生懸命生きていく。そのプロセスそのものを磨き砂として、自分の人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも少しでも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。私はこのことよりほかに、人間が生きる目的はないと思うのです。 昨日よりましな今日であろう、今日よりよき明日であろうと、日々誠実に努め続ける。その弛まぬ作業、地道な営為、つつましき求道に、私たちが生きる目的や価値が、確かに存在しているのではないでしょうか。 生きていくことは、えてして苦しいことのほうが多いものです。ときに、なぜ自分だけがこんな苦労をするのかと、神や仏をうらみたくなることもあるでしょう。しかしそのような苦しき人生だからこそ、その苦は、「魂」を磨くための試練だと考える必要があるのです。人生における労苦とは、己の人間性を鍛えるための絶好のチャンスなのです。 試練を、そのように絶好の成長の機会としてとらえることができる人、またさらには、人生とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場であると考えられる人ーーそういう人こそが、自らの限りある人生を、豊かで実り多いものとすることができるのみならず、その周囲にも素晴らしい幸福をもたらすことができるのです。 |
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吉田松陰 | |
松陰が護送される途中、高輪の泉岳寺(赤穂義士の墓のあるところ)の前を通り過ぎる時に詠んだもの。 | |
かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂(やまとだましい) |
このようにしたら、その結果はこのように身に災いが及んでくるということはわかっていながら、私の抱いている大和魂(日本人としての真心)が私を突き進ませるのだ。 |
従弟の玉木彦介の加冠(男子の成人式)に際して贈った「士気七則」の一つ。 | |
志の道は義より大なるはなし。 義は勇によりて行はれ、勇は義によりて長ず。 |
士(徳の備わった立派な人)の生き方としては、義(正義)を実践するということより大事なことはない。その義は勇気によって実践され、勇気は正義を実践することによって一層強くなるものである。 |
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老子 | |
道(みち)の道とすべきは、恒(つね)の道に非(あら)ず。名の名とすべきは、恒の名に非ず。無名は万物(ばんぶつ)の始めなり。有名は万物の母なり。故に恒に無欲にして以ってその妙(みょう)を観(み)、恒に有欲(ゆうよく)にして以ってその?(きょう)なる所を観る。両者は同じく出で、名を異にし謂(いい)を同(おな)じうす。玄(げん)の又玄は、衆妙(しゅうみょう)の門なり。 | これが「道」だと説明できるような道は、本物の道ではない。これが名だと呼べるような名は、本物の名ではない。「道」にはもともと名はないが、これこそ万物の根源であり、そこから天地が生じ、万物が生まれた。万物の実体を見極めるには、常に無欲でなければならない。欲望にとらわれていると、現象しか見ることができない。ただし、実体も現象もともに「道」という根源から生じており、名を異にしているにすぎない。「道」はあくまでも霊妙(れいみょう)な存在であり、そこから森羅万象(しんらばんしょう)が発するのである。 |
上善(じょうぜん)は水の如し、水は善(よ)く万物を利して争わず、衆人(しゅうじん)の悪(にく)む所に居(お)る。故に道に幾(ちか)し。居るは善く地(ち)、心は善く淵(えん)、予(あた)うるは善く仁(じん)、言(げん)は善く信(しん)、政(せい)は善く治(ち)、事(こと)は善く能(のう)、動くは善く時(とき)、それ唯(ただ)争わず、故に尤(とが)なし。 | 最も理想の生き方は、水のようなものである。水は万物に恩恵を与えながら相手に逆らわず、人の嫌がる低い所へと流れていく。だから、道のありように近いのである。低い所に身を置き、淵のような深い心を持っている。与える時は分け隔(へだ)てがなく、言うことにいつわりがない。国を治めては破綻を生ぜず、物ごとには適切に対処し、タイミングよく行動に移る。これこそ水のあり方に他ならない。水と同じように、逆らわない生き方をしてこそ、失敗を免れることができるのだ。 |
敢(あえ)てするに勇(ゆう)なれば則(すなわ)ち殺(ころ)し、敢えてせざるに勇なれば則ち活(い)く。この両者(りようしゃ)は或(あるい)は利(り)或(あるい)は害(がい)。天(てん)の悪(にく)む所、孰(たれ)かその故(ゆえ)を知らんや。天の道は戦わずして善(よ)く勝ち、言わずして善く応じ、召(まね)かずして自(おのずか)ら来たり、(せん)として善く謀(はか)る。天網(てんもう)は恢恢(かいかい)、疎(そ)にして失(うしな)わず。 | 同じ勇気でも、前へ進む勇気はわが身を滅ぼし、後ろへ退く勇気はわが身を生かす。だが、どちらが有利でどちらが不利なのか、天の考えることは誰にもわからない。天の道は、戦わないで勝利を収め、命令しないでも服従され、呼び寄せなくても向こうからやって来、のんびり構えていながら深い謀りごとを秘めている。天の網はこのうえなく大きく、網目こそ粗(あら)いが、なにひとつ取り逃がすことはない。 |
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坂村真臣 |
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二度とない人生だから |
二度とない人生だから 一輪の花にも 無限の愛をそそいでゆこう 一羽の鳥の声にも 無心の耳をかたむけてゆこう 二度とない人生だから 一匹のこをろぎでも ふみころさないようにこころしてゆこう どんなにかよろこぶことだろう 二度とない人生だから いっぺんでも多く便りをしよう 返事は必ず書くことにしよう 二度とない人生だから まず一番身近なものたちに できるだけのことをしよう 貧しいけれど心豊かに接してゆこう 二度とない人生だから つゆくさのつゆにも めぐりあいのふしぎを思い 足をとどめてみつめてゆこう 二度とない人生だから のぼる日しずむ日 まるい月かけてゆく月 四季それぞれの 星々の光にふれて わがこころを あらいきよめていこう 二度とない人生だから 戦争のない世の実現に努力し そういう詩を 一遍でも多く作ってゆこう わたしが死んだらあとをついでくれる 若い人たちのために この大願を書きつづけてゆこう |
つみかさね |
一球一球のつみかさね 一打一打のつみかさね 一歩一歩のつみかさね 一坐一坐のつみかさね 一作一作のつみかさね 一念一念のつみかさね つみかさねの上に 咲く花 つみかさねの果てに 熟する実 それは美しく尊く 真の光を放つ |
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相田みつお |
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まどみちお |
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「変りつつ永遠のいのちをいき続けている」姿を水の移り変わりにたとえた「まどみちお」さんの詩です。 法話集「天地いっぱいに生かされて」青山俊薫 |